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2023年3月25日(土)天気:雨 観音山会員研修

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 このブログもちょうど始めて、昨年の観音山会員研修から1年が経ちました。桜は例年にくらべて早くも満開ちかくなのに、花冷えであいにくの雨、天気予報士さんがコメントするなら「花散らしの雨」って言いたいところですが、実は「花散らし」とは「花の季節に男女がどんちゃん騒ぎすること」みたいな風情を壊すような言葉なんだそうです。あえて、この雨をいうなら、「桜流しの雨」でしょうか?そんな悪天候の中、4/1の春祭りに先駆けての観音山研修に16名もの会員が参加。そのうち、3名が新会員になります。 観音山山頂駐車場のゲストハウスを起点に、清水寺へ、ここの本尊は千手観音で、誰しもが知っている観音山の語源はこの観音様から来ているってことですね。 征夷大将軍のはしりである坂上田村麻呂の木像が祀られている田村堂。こう見ると、雨の日の白壁のお堂ってなんかノスタルジックなフインキがむんむんです。 さくらの景色の中心には高崎市役所、天気がよければ、左手に赤城山がみえるんですけど、今日は群馬県庁がうっすらと見えるだけ・・・ ガイドの会で、ホットな話題といえば、この仁王像はどこから来たかです。白衣観音が建立される少し前に建っていることは、結構いろんなブログで書かれているのですが、ほかの場所から来たという話しは初めて知りました。おまけに、元々は、中島伊平さんという豪商の別宅にあったってことで、高崎市街地のどこだっていう議論が巻き起こって、民俗博物館の学芸員の人も探してくれているとのこと。自分も調べてみようかなと思うところで、最近、初めてしったのは、図書館って、レファレンスサービスっていうのがあるとのこと、例えば、「中島伊平について知りたい。」って質問を登録すると、半月ほどで、その回答になる資料を集めてくれて「1889(明治22)年、高崎市の「福田屋」と号する生糸絹商の中島家へ養子に入り、1891(明治24)年、5代目伊平として家督を相続。」って調べてくれるものだそうです。この資料の中で、『高崎の産業と経済の歴史〔1〕』高崎経済大学附属産業研究所 1979 p318~321に中島伊平宅地建物田畑所有規模(明治23年)っていうのがあるので、これをターゲットにするのもよさそうです。 ちなみに、最近話題のOpenAI社のChatGPTという人工知能に聞いてみました。 大体、「藤井町」ってどこから出てきたやら・・・何

高崎ぶらっと自転車旅「上野三碑 弾丸ツアー」2023.3.12

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  13:15自宅を自転車で出発。中山峠を越えて、約9Kmを爆走。14:04に多胡碑に到着。 さすが、覆屋の扉が開く一般公開日、日頃からみると、やはりお客さんがいる様子。 この一般公開は多胡碑の碑文にある「和銅四年三月九日」にちなんで、この時期に公開されていて、今年は今日3月12日(日)9:00~15:00でした。ユネスコ「世界の記憶」登録から5周年となります。 上野三碑ボランティアの会の方が2名ほど。それぞれの碑の前で解説を行っていました。実は、高崎観光ガイドの会の会員の方も入っていて、ここでも活躍。子供にもわかりやすいように、すごく丁寧に話しをされていました。 14:09に多胡碑を出発。中山峠を戻り、城山団地入口から立て続けの坂を上りつつ、高崎茶臼山城址を右手に見ながら5Kmを疾走して14:34に金井沢碑に到着。ここでも、ガイドの会でお世話になっている先輩が、一般のお客様へ力説中。一礼して、その場を退散。 おっと、15:00まで、残り30分を切ってしまった。さあ、どうする。と、駐車場では「上野三碑めぐりバス」がお客さんをおろしているところではないですか。市の職員の方と思われる女性が・・・・なんと声をかけられたか思い出せないのですが、とっさに「そのバス、山上碑に行きますか?」と聞いてみたところ、こころよく、バスの運転手さんに行先を聞いてくれて、山上碑にいくところで、あと1名なら助手席があいているからOK。「忘れ物はないですか?」って言われて、「自転車置き忘れていますが、いいです。」みたいな阿保な返答をして、いざ、山上碑に、14:50分ごろバス停に到着して、そこからダッシュ。階段を駆け上がりざまに、「来場者には御朱印プレゼント」を頂いて、14:54に山上碑に到着。 ここにも、解説のガイドの方がいらっしゃって、息を切らして登ってきたことによほど心配になられたようで、「山上碑は逃げませんから」とお声がけいただいて、碑文の説明をしていただきました。 ここからは高崎自然歩道 「石碑の路」を高崎市街地を展望しながら、3Km歩いて、金井沢碑へ戻り、 自宅までの6Kmを自転車で・・・・計20Kmの自転車と徒歩3Kmを2時間半で巡る、弾丸ツアーとなりました。

高崎ちかごろニュース「良縁の赤い糸祈願祭」2023.3.11

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白衣観音と言えば女性の姿をしているものの性別はないのに、カップルで参拝すると、観音様の嫉妬を買って、別れることになるとの都市伝説が昔からあるそうです。この噂を払拭するべく、中国の北宋時代の「太平広記」の中に「定婚店」というお話(ある男が、冥界からやってきた老人に会い、現世の男女の足首に決して切れない赤い縄を結んでいくと告げられて・・・)にちなんで「赤い糸祈願祭」2月14~3月14まで行われます。白衣観音像の指から赤い糸を垂らして、その糸で指を絡めたカップルの恋愛成就、恋人募集などを祈るイベントです。NPO法人の高崎ネットワークが主催し、3/5(日)には「世界中に愛を叫ぶコンテスト」が開かれました。参加者には観音様になっていただくのですがこのド派手なメイクは仏像をモチーフにしたアーティスト活動をされているTETTAさんが指導しているそうです。 香炉の屋根からは赤い糸がおろされており、「小指にからめてお参りください」 と書かれています。 香炉の屋根からは観音様の指→腹部への窓という流れで一度、胎内つながります。 この時は、タイから?のお坊さんたちが参拝されていました。 このあと、背中の窓から、糸はおろされ、背後にある「光音堂」と呼ばれる、六角堂の屋根につながります。この「光音堂」昭和54年11月 設計は高崎市在住の大畑俊夫氏。観音様の光背の日輪をイメージして造られました。本尊は聖観音菩薩坐像で、別名「一願観音」といい、一つだけ願い事をかなえてくださり、その中でも良縁・恋愛成就にご利益があるとなっていることから、この赤い糸がつながれているのだと思います。 実は、この赤い糸?、よく見ると、今までの糸?、ひも?ではなく、電飾になっていました。ということは、夜も面白いのかもしれません。 撮影スポットも電飾になっているので、夜間の参拝もありなんでしょうね。  

高崎ぶらっと自転車旅「群馬三大梅林 箕郷梅林 みさと梅まつり」2023.3.5

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 2月26日から3月下旬まで、みさと梅公園(蟹沢会場)と善地梅林広場(善地会場)の2会場で始まった「みさと梅まつり」まだまだ、三分咲きで満開までは程遠いものの、天気が良く、昨日ほどの風もなかったので、新島学園に行ったそのあと、自転車で行ってみました。(見ごろは来週末?) ⑥梅の里大橋からみた榛名山 300万ヘクタールの敷地に、10万本というから、満開になると、きっと、艶やかなピンク、赤、白に山が染まるんでしょうね。写真スポットも6カ所。善地会場は高崎市を一望できるパノラマも特徴になっています。 梅栽培の由来が、みさと梅公園の入り口に書いてありました。 明治初期、地域の「しばうめ」を農家が自家用として栽培していたことから始まるそうです。明治二十年~三十年頃には、「紅養老」と思われる木を200~300本ほど植えており、大正十年頃になると、永井忠三郎氏が梅が収益性に注目して、栽培技術の向上を目指すとともに、桑畑の桑を抜いて、「白加賀」を一面に植えて、商業化を目指したというお話しです。 梅公園には「子育ての白梅」と呼ばれる老木があります。大昔、榛名山の噴火で野梅の種子が噴石とともに、この地に落下して、地区の住民に大切に育てられ、その子孫のうちの1本がこの老木で、木の幹には観音様が子供を抱いた姿が現れたということで、子孫繁栄、幸福をもたらすご神木として崇拝されているそうです。 梅の木の足元には黄色い可憐な福寿草が咲き始めていました。(別名:元日草)なので、2月から咲く(旧暦ってこと?)らしいのですが、少し太陽がかげると、花を閉じて、寒さに耐えるんだそうです。見た目は可愛いが根と茎には毒があり、嘔吐、呼吸困難になり、命にも別状があるみたいです。 養蜂の箱がずらり、ミツバチたちが、飛び回って、その羽音がかすかに聞こえていました。 蝋梅(ロウバイ)もまだ咲いていました。 河津桜と紅梅のアーチ    河津桜は日本固有種のオオシマザクラ とカンヒザクラ の自然交配種 この花はなんだ?ってことで、Googleレンズで調べてみると、カラムラサキツツジとか、 ゲンカイカラツヅジって出てくる。どうも、中国東北部に自生するもので、日本で見られる場合は、栽培しているものに限られるということだそうです。

高崎ちかごろニュース「新島学園短期大学講堂 新島の森 (特別公開)」2023.3.5

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 昭和町にある新島学園短期大学の講堂が新しく木造モダンな建築に生まれ変わりました。まるで、木漏れ日の中にいるような錯覚すら覚える、光の芸術ともいうべきこの意匠は世界最大級の建築アワードであるWAF(World Architecture Festiva)の2021年の宗教建築部門を受賞したそうです。設計を手掛けた手塚建築研究所(東京都世田谷区)は1994年に手塚建築企画として手塚貴晴さんと由比さんによって設立されました。建築は生活や社会を変えられるというコンセプトのもと、特に子供の為の空間設計を得意としているそうです。中には、OECD(世界経済協力機構)、UNESCOにより世界の優れた学校として選ばれた「ふじようちえん」もその一つになります。 今回の特別公開は10時の手塚夫妻と湯浅学園長のシンポジウムから始まっているようなのですが、残念ながら、ガイドの会の所用で参加できませんでした。察するに、今回のデザインのコンセプト「エデンのように、社会に旅立つ前の学生を育む森」や、透かし彫りのデザインに貴晴さんが6か月もかけたという苦労話しが語られたのではないかと思います。 11時からは、ニューヨークで活躍するジャズピアニストのRINAさんのコンサートが始まりました。RINAさんもお話ししていましたが、構造、装飾、音響を統合的に設計されているだけあって、音の響きも綺麗で、なにか、音も光とともに降り注ぐような感じがしました。 右の円筒形の建物は研究棟で、鉄筋コンクリート造3階建、昭和31に建築され、設計は坂本鹿名夫氏で、初期の作になります。国登録有形文化財に指定されており、地域のランドマークとして親しまれてきました。ここに新たに、この講堂も仲間入り、長い歴史のなかで、地域に親しまれていくことになると思います。

2023年3月4日(土)中山道の高崎宿を歩く(市民公募) 晴れ

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  姉妹都市公園を9時に、3班構成で市民の方が28名、ガイドが19名 計47名で出発。(ガイドが多かったですね。) まずは、常磐町の木戸のお話からスタート 左側が三の丸の堀の部分だったところで、市制80周年記念として親水公園になっています。 中央小学校 中山道にはいって、山田文庫、岡醤油 長松寺 本町 連雀町→あら町→新田町といって最後に愛宕神社で解散となりました。