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高崎ぶらっと自転車旅「上野三碑 弾丸ツアー」2023.3.12

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  13:15自宅を自転車で出発。中山峠を越えて、約9Kmを爆走。14:04に多胡碑に到着。 さすが、覆屋の扉が開く一般公開日、日頃からみると、やはりお客さんがいる様子。 この一般公開は多胡碑の碑文にある「和銅四年三月九日」にちなんで、この時期に公開されていて、今年は今日3月12日(日)9:00~15:00でした。ユネスコ「世界の記憶」登録から5周年となります。 上野三碑ボランティアの会の方が2名ほど。それぞれの碑の前で解説を行っていました。実は、高崎観光ガイドの会の会員の方も入っていて、ここでも活躍。子供にもわかりやすいように、すごく丁寧に話しをされていました。 14:09に多胡碑を出発。中山峠を戻り、城山団地入口から立て続けの坂を上りつつ、高崎茶臼山城址を右手に見ながら5Kmを疾走して14:34に金井沢碑に到着。ここでも、ガイドの会でお世話になっている先輩が、一般のお客様へ力説中。一礼して、その場を退散。 おっと、15:00まで、残り30分を切ってしまった。さあ、どうする。と、駐車場では「上野三碑めぐりバス」がお客さんをおろしているところではないですか。市の職員の方と思われる女性が・・・・なんと声をかけられたか思い出せないのですが、とっさに「そのバス、山上碑に行きますか?」と聞いてみたところ、こころよく、バスの運転手さんに行先を聞いてくれて、山上碑にいくところで、あと1名なら助手席があいているからOK。「忘れ物はないですか?」って言われて、「自転車置き忘れていますが、いいです。」みたいな阿保な返答をして、いざ、山上碑に、14:50分ごろバス停に到着して、そこからダッシュ。階段を駆け上がりざまに、「来場者には御朱印プレゼント」を頂いて、14:54に山上碑に到着。 ここにも、解説のガイドの方がいらっしゃって、息を切らして登ってきたことによほど心配になられたようで、「山上碑は逃げませんから」とお声がけいただいて、碑文の説明をしていただきました。 ここからは高崎自然歩道 「石碑の路」を高崎市街地を展望しながら、3Km歩いて、金井沢碑へ戻り、 自宅までの6Kmを自転車で・・・・計20Kmの自転車と徒歩3Kmを2時間半で巡る、弾丸ツアーとなりました。

高崎ぶらっと自転車旅「群馬三大梅林 箕郷梅林 みさと梅まつり」2023.3.5

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 2月26日から3月下旬まで、みさと梅公園(蟹沢会場)と善地梅林広場(善地会場)の2会場で始まった「みさと梅まつり」まだまだ、三分咲きで満開までは程遠いものの、天気が良く、昨日ほどの風もなかったので、新島学園に行ったそのあと、自転車で行ってみました。(見ごろは来週末?) ⑥梅の里大橋からみた榛名山 300万ヘクタールの敷地に、10万本というから、満開になると、きっと、艶やかなピンク、赤、白に山が染まるんでしょうね。写真スポットも6カ所。善地会場は高崎市を一望できるパノラマも特徴になっています。 梅栽培の由来が、みさと梅公園の入り口に書いてありました。 明治初期、地域の「しばうめ」を農家が自家用として栽培していたことから始まるそうです。明治二十年~三十年頃には、「紅養老」と思われる木を200~300本ほど植えており、大正十年頃になると、永井忠三郎氏が梅が収益性に注目して、栽培技術の向上を目指すとともに、桑畑の桑を抜いて、「白加賀」を一面に植えて、商業化を目指したというお話しです。 梅公園には「子育ての白梅」と呼ばれる老木があります。大昔、榛名山の噴火で野梅の種子が噴石とともに、この地に落下して、地区の住民に大切に育てられ、その子孫のうちの1本がこの老木で、木の幹には観音様が子供を抱いた姿が現れたということで、子孫繁栄、幸福をもたらすご神木として崇拝されているそうです。 梅の木の足元には黄色い可憐な福寿草が咲き始めていました。(別名:元日草)なので、2月から咲く(旧暦ってこと?)らしいのですが、少し太陽がかげると、花を閉じて、寒さに耐えるんだそうです。見た目は可愛いが根と茎には毒があり、嘔吐、呼吸困難になり、命にも別状があるみたいです。 養蜂の箱がずらり、ミツバチたちが、飛び回って、その羽音がかすかに聞こえていました。 蝋梅(ロウバイ)もまだ咲いていました。 河津桜と紅梅のアーチ    河津桜は日本固有種のオオシマザクラ とカンヒザクラ の自然交配種 この花はなんだ?ってことで、Googleレンズで調べてみると、カラムラサキツツジとか、 ゲンカイカラツヅジって出てくる。どうも、中国東北部に自生するもので、日本で見られる場合は、栽培しているものに限られるということだそうです。

高崎ぶらっと自転車旅「少林山 七草大祭」2023.1.7

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黄檗宗(おうばくしゅう)少林山 達磨寺。この本堂である霊符堂には 北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)が祀られています。この本尊は北斗七星、北極星を神格化したもので、この本尊が降臨する吉日として、毎年1月7日の夜中の2時に七草大祭として1月6日から夜通し、星祭りが行われます。 行事がないときは本堂裏の駐車場まで車で行けますが、今日は皆、下の駐車場から本堂までの153段を休みながら登っていました。 本堂では法要が行われて、読経が静かに流れていました。 境内ではだるま市が開かれています。これは200年前の天明の飢饉のおり、だるま作りをこのお寺の9代目、東嶽和尚が住民に伝えたころから続く伝統ある市です。 といっても、時代が変われば、だるまも変わる。ピッカピカの黄金に輝くものもあります。 時代がかわるといえば、案内板があらたにできて、お寺の紹介をタッチパネルで選びながら、見ることができます。 本堂裏の駐車場というと、約30台のキッチンカーが勢ぞろい、お祭りといえば、やはり、この賑わいですね。でも、なぜだか、たこ焼きっていうより、エスニックや韓国料理が目立つような・・・・・ 購入しただるまは、ここで願い事と一緒に開眼祈祷をしてもらって、魂を入れてもらいます。また、願い事がかなっただるまは本堂の前面に奉納されています。  

高崎ぶらっと自転車旅「進雄神社」2022.12.10

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社殿の東側には「天王稲荷神社」があり、この鳥居の前で、結婚式の写真の前撮り最中だったので、駆け足でお参りさせていただきました。この朱の鳥居はきっと、写真の背景にすると綺麗にちがいないと思います。   境内の東側には縁結び、金運のご利益のある「竜神様」が祀られています。 神様がとおる「太鼓橋」で結界の中にあります。 境内の東には「水天宮様」が祀られています。 進雄神社の由緒は、古く、1150年前の貞観11年(869年) 清和天皇の詔によって、尾張の津島神社から勧請したことに始まります。天喜5年(1057年)には源頼義公により社殿が造営されました。その後も、武田、上杉、北条の支配の代においても、篤く崇拝され、寛永11年(1634年)には3代将軍 徳川家光公により三十石の土地が寄進されています。その後、明治に入り、神仏分離となるに至っては、「天王宮」として親しまれていた名前を、当時の宮司が、主祭神であるスサノオノミコトに雄大に進むという意味を込めて、今の社号である「進雄神社」としたそうです。平成3年(1991年)には現在の社殿を総檜の権現造りとして新築しています。 代々、社家であった高井家が、一時、武田の命で伊藤太夫にとって代わられた。そのとき、神楽の面が夜な夜な火を噴くということで、大層困り、伊藤太夫はこの地にその面を埋めて退散することになった。後に、高井家が戻り、面を掘り起こし、そこに杉を植えると、それはねじれてしまった。今も看板の傍らに残っており、「神楽塚の捻れ杉」と呼ばれる。

高崎ぶらっと原チャリの旅「初日の出 八幡八幡宮」2023.1.1

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 明けましておめでとうございます。昨晩は、少林山に除夜の鐘をききにいって、朝、早起きして、初日の出を見に行こうと目覚ましをかけたのですが、起きることができず、自転車の旅ならぬ、原チャリでいそいで滑り込みセーフとなりました。 初日の出というと、この八幡八幡宮がおすすめ。観音山丘陵の裾野からでる太陽は、まさに、高崎の景色の代表ではないかと思います。

高崎ぶらっと自転車旅「除夜の鐘 少林山」2022.12.31

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高崎ぶらっと自転車旅「旧下田邸のライトアップに行ってきました」2022.11.26

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  旧下田邸の庭園にある樹木には紅葉するものが多く「赤ぞなえ」と呼ばれてこの季節(2022年11月18日(金)~明日 11月27日(日)17時から20時)のライトアップがとてもきれいです。 ここは池泉回遊式庭園で、「青翆園」 高崎にある江戸時代初期の庭園としては唯一のもの。なんと、忠臣蔵で名高い、剣豪、堀部安兵衛武庸(たけつね)の設計とされています。 堀部安兵衛は越後新発田で生まれ、父は藩士中山弥次右衛門です。このお父さんは藩から庭の設計を頼まれるほど造園にも知見があり、この技が引き継がれたようです。ただ、父が巽櫓の管理の役職にあるときに、失火という失態をおかしました。責任をとらされて、お役御免となり、一家は没落。家名断絶の憂き目にあって、失意の中で父を亡くすことになります。元禄元年(1688)に、一念発起して剣術修行にと、故郷をあとにした安兵衛が初めに訪れた修行先が、当時、勢いのあった、高崎市吉井町の馬庭念流でした。この折に、頼まれて、この庭を設計したとされます。庭園には石組みを配した城郭式の池があり、その中心には蓬莱島を模した島があります。