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高崎ちかごろニュース「アウトドア イベント なるさわフェス」2023.5.27

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 箕郷町の商工会議所OB「 M’s Salon」が企画して、初めての「なるさわフェス」が開催。テーマはアウトドアってことで、鳴沢湖西側の野鳥公園には地元野菜の販売のテントや、キッチンカー数台が並んでいました。 5月~8月の利用者は少ないってことで、鳴沢湖の新たな魅力の創造っていう企画が今回のフェスの目的みたいですが、ワカサギ釣りのオフシーズンとは言え、結構、桟橋には釣り人がいました。 (フェス開催の今日は無料開放ってことで賑わっている?) 夏場のターゲットはヘラブナってことだそうです。通常は、桟橋の利用で 遊漁料:大人520円、 浮桟橋使用料: 1日大人1,570円、釣り竿は無料レンタルだけでなく、エサ(130円)も、仕掛け(300円)もありといった感じで手ぶらでいっても楽しめるみたいですが、高崎市の公共施設ってことでお食事処はないので(民間が入ると変わるのかも・・・)、1日いるならお弁当は必要です。 管理事務所から歩いて800m先のフェスの会場に、途中に展望台があったので、登ってみました。そこからの眺めはなんとなく保養地の湖畔って感じでGoodです。ただ、ここは農業かんがい用水としての人造湖。地元に竹腰徳蔵という酒造メーカの資産家がいて、大正6年、畑三町歩(約0.03平方Km)ほどを拓いて、農業を営むなかで水利事業の重要性を痛感し、昭和12年にこの難事業に着手、戦時中の人手不足もあってか、13年もの歳月かけてやっとのこと昭和25年に完成しました。面積は0.18平方Km、水深は最大で17.56m、受益面積は680ヘクタールだそうです。もともとは、榛名白川を水源としていましたが、それほどの水量でもないので、やはり、役不足だったようで、昭和44年には群馬用水榛名幹線から取水することとなりました。 ドックランが開設されており、体重20Kgまでのワンちゃんが利用可能ってことでした。おそらく、体重制限は仮設の柵の強度の問題なんでしょうね。 ウッドデッキではヨガの体験があったり、着衣でのテントサウナも体験できたりと優雅なアウトドアを満喫かと思いきや・・・ サウナの中は、子供たちに乗っ取られて、大人は唖然とみているだけって感じでした。たしかに、ここで、汗だくになる大人も大変なので、入らないのも納得ですね。 平成30年8月には湖を周回できる全長2600mの遊歩道が完成。湖面と木々を

2023年5月13日(土)村上鬼城ゆかりの地と市街地の長野堰を歩く(市民公募本番)

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17名の参加者があり、9:05頃北高崎駅を出発。昭和町から長野堰沿いに歩き、途中、電車公園では、チンチン電車の通った昭和初期のノスタルジー満載のお話や、新井堰では高崎城郭にとってどれほど、長野堰の用水が大事だったか、その整備に、大きな役割を果たした新井喜左衛門のお話と、長野堰の整備を行ったと思われる長野業政の「業」の字の意味を話しながら、真打ちとなる、「鬼城記念館」に到着。ここでは、句会の関係者による、俳人、村上鬼城に関するディープな話をしてもらえたことが、参加者にとってもとてもプレミアムな経験になったようです。 曇りだったため、暑さもそれほどでもなく、距離は普段のツアーと比べて長いものでしたが、全員無事予定の時間に高崎スズランよこの鞘モールに到着しました。 村上鬼城記念館 並榎 神明宮 本町3丁目 遠堀を示す陶板 さやもーる 鬼城旧宅跡の案内

高崎ぶらっと自転車旅「高崎名物オランダコロッケ 絶メシリストのNo.41 平井精肉店」2023.5.5

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  5/13の公募ツアーを前に、この「高崎名物 オランダコロッケ」の調査に大橋町の平井精肉店さんへ鼻高展望花の丘から直行。 重さを言って、量り売りしてくれる昔ながらのお肉屋さんで、夕方、夕食の材料を買いに、ひっきりなしに主婦が来店。すき焼き用ってことで、すごい赤身のきれいなお肉をどんと1Kgも買ってるのには興味津々。ここは赤城牛にもこだわりの自信があるので、きっとそれでしょう。3代目の店主が、手早く、すき焼き用にスライスしており、紙の袋に包んで、お客様へ提供する姿に感動。だって、最近はスーパーのみの利用で、パックに入ったのしか買ったことがないもので・・・ だいたい、なんで高崎名物で、それが、コロッケで、オランダってどういうことですか?と誰しもが思うところで、調べてみました。 1個138円(税抜き) 通常、コロッケって小判状の平らなものをイメージしますが、俵状なのがオランダコロッケのようです。2000年が高崎市の市政100周年でそのタイミングが、日蘭国交400年だったそうで、高崎市で「オランダ王室展」が開かれました。この時、市の担当者から精肉店組合に依頼があって、それが「オランダと言ったら酪農国なので、チーズを使ったコロッケを販売してほしい」という内容だったそうです。当然、これだけの依頼で、新商品が作れるわけでもなく、店主は、市の担当者により具体的な情報をFAXで求めたところ、オランダにはコロッケの元になった「クロケット」(発祥はフランス、オランダ経由で日本に伝わったとの説)というのが、自販機で気軽に購入できて、よく食べられているとの回答とともに本か雑誌のレシピもヒントとして調べて出してくれました。 クロケットとは、バターと小麦粉、牛乳を使ったベシャメルソースをベースに肉や魚、キノコや野菜といった具材を加えたものが入っており、ジャガイモベースのコロッケとは少し異なるようです。これらの情報をもとに半年がかりでできた、オランダコロッケが口コミで大人気となり、2010年のサッカーW杯のオランダ戦では、ゲン担ぎでオランダコロッケを食べようとお客様が殺到し、1日に2000個も売れました。また、コロッケ協会主催のコロッケグランプリの第一回(2013年)と第二回(2014年)のバラエティ部門では金賞を受賞しました。 さて、家に帰って、実食、中にはベーコン、パセリなどなど、ナチュラル

高崎ぶらっと自転車旅「鼻高展望花の丘 菜の花まつり」2023.5.5

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  第22回 菜の花まつりが4/15~5/14で午前9時~午後4時 開催中。160aに40万本ものスケールがあり、菜の花の迷路や、イベントハウスでは土日には菜種油絞り体験ができます。 ただ、もう、菜の花は、もう終わりの時期。開花が例年に比べて10日早かったようで、見ごろは4月いっぱいだったようです。 これは、前日にいった箕郷の芝桜公園も同様で、こちらも寂しい限りでした。 菜の花に代わって、今は、ネモフィラが青い、鮮やかな絨毯を広げていました。 こちらはカルフォルニアポピーで、こいのぼりとのコラボは子供の日らしいワンショットです。 すぐそばの長坂牧場へ、心なしか、暑さのせいで、牛も少しお疲れ気味に見えます。こちらもソフトクリームでもと思ったものの、長蛇の列で、諦めました。

高崎ぶらっと自転車旅「城峯神社の例大祭」2023.5.5

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  来週の公募ツアーのための確認ということで大橋町の庚申塔の前にある説明の立て看板に書かれていた5月5日の例大祭を確認しにきました。 お囃子といったものはなさそうで、火伏の神といわれる城峯神社の神事が町内寄り合いで行われていました。 神事はこの庚申塔を前に行われています。 庚申塔には正徳元年十一月(1711年)の年号(建てられた時期は不明)と、裏面には建てた6名の名前があります。基部には青面金剛の使いとされる見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が彫られ、庚申待の夜にはこのような謹慎の態度をとることを示しているそうです。庚申塔は江戸時代に盛んに建てられました。日本で干支というと十二支のみを指しますが、道教では本来、十干十二支を指し、暦法や方角、時刻に使われます。道教では人の定命(じょうみょう、生まれながらに定められた寿命)は120歳とされ、その寿命を頭、腹、足にいる三尸(さんし)が60日(十干と十二支の最小公倍数にあたる60でひと回りする。還暦は暦が還るという意味で60歳。120歳になると大還暦となる。)に一度巡ってくる庚申の日に体から抜け出して、天帝(中国における最高神、仏教では帝釈天)に宿主の罪悪を告げるために寿命が縮むとされ、それをさせないため、庚申待の行事として皆で夜を明かしていたものが江戸時代に組織化され庚申講となりました。庚申塔とは3年18回の庚申講の記念として建立されるものがあり、また、庚申の晩に生まれた子は盗人になるという俗言があることから、名に「金」の字を入れることで、「ひと様のお金を盗らない」という意味で厄除けとしました。夏目漱石の本名である「金之助」はこれにちなんだものです。 ※青面金剛(しょうめんこうごうとう) 天帝(帝釈天)の使者である金剛童子。身体は青色で、六臂(ろっぴ)または二臂、四臂、目は赤くて三眼で、怒りの形相をとる。病魔を退散させる威力があるとされ、日本では庚申信仰と結びついて三尸虫を押さえるための本尊とされました。

高崎ぶらっと自転車旅「綿貫 観音山古墳」2023.5.5

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  綿貫観音山古墳は、前方後円墳で高崎市綿貫町にあり、昭和48年4月14日に国の史跡に指定されています。昭和42年から43年にかけて群馬県教育員会により発掘調査が行われ、出土した副葬品の特徴から6世紀後半(古墳時代後期)の築造とされ、大きさは墳丘長97m、2段築成で後円部径が61mの高さ9.6m、前方部幅が63mの高さ9.4mと前方が少し大きいものの、高さはほぼ同じ、二重の周堀をもち、平面は盾形、外堀は後円部で途切れており、堀を含めた全長は185mです。周辺には普賢寺裏古墳・不動山古墳・岩鼻二子山古墳といった大型前方後円墳3基や円墳20基があり、「綿貫古墳群」と呼ばれます。 石室は後円部にあり、両袖型横穴式で、南西に向かって開口している。群馬県で最大規模であり、全長は12.65m、玄室は長さ8.12m、奥の方の幅3.95m、手前の幅が3.16mとなっており、高さは1/2ではあるが平面規模としては丸山古墳(奈良県橿原市)に相当します。 石室の壁面には榛名山の噴火によってもたらされた角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)をブロック状に加工して積み上げており、天井部は6枚の牛伏砂岩を使い、その中で奥に配したものは最大で22トンにもなります。これほどの巨石は近場では調達できず、15Km南西の鏑川流域から運ばれてきたものと考えられます。また、棺はなく、遺体は石室に直接安置する方法で、これも、6世紀の関東の横穴式石室ではよく見られます。発掘当時、奥から2つ目の天井とその周辺の壁の石が崩落しており、調査は難航しました。しかし、これが、副葬品の盗掘を防いだわけです。石室が南西に開口しているため、太陽が低くなる冬至の夕暮れには玄室まで太陽光が差し込みます。→ 上毛新聞のサイトにある動画 玄室からみつかった副葬品はなんと500点以上にも上ります。中には、中国北宋様式の水瓶や、百済の王陵から見つかったものと同じ鋳型を使った獣帯鏡があり、これほど大陸文化に関係するものを保有していたことを考えると、ヤマト王権に対し、太いパイプをもっていたもしくは、その地位にあった有力者と考えられています。また、埴輪の中には非常に珍しい3人の巫女が座っている埴輪 (三人童女)があります。 これらの副葬品や埴輪は国宝に指定され、一部は県立歴史博物館で見ることができます。 お昼ごはんは、群馬の森のすぐそばにある