高崎ぶらっと自転車旅「進雄神社」2022.12.10

社殿の東側には「天王稲荷神社」があり、この鳥居の前で、結婚式の写真の前撮り最中だったので、駆け足でお参りさせていただきました。この朱の鳥居はきっと、写真の背景にすると綺麗にちがいないと思います。
 


境内の東側には縁結び、金運のご利益のある「竜神様」が祀られています。


神様がとおる「太鼓橋」で結界の中にあります。

境内の東には「水天宮様」が祀られています。

進雄神社の由緒は、古く、1150年前の貞観11年(869年) 清和天皇の詔によって、尾張の津島神社から勧請したことに始まります。天喜5年(1057年)には源頼義公により社殿が造営されました。その後も、武田、上杉、北条の支配の代においても、篤く崇拝され、寛永11年(1634年)には3代将軍 徳川家光公により三十石の土地が寄進されています。その後、明治に入り、神仏分離となるに至っては、「天王宮」として親しまれていた名前を、当時の宮司が、主祭神であるスサノオノミコトに雄大に進むという意味を込めて、今の社号である「進雄神社」としたそうです。平成3年(1991年)には現在の社殿を総檜の権現造りとして新築しています。


代々、社家であった高井家が、一時、武田の命で伊藤太夫にとって代わられた。そのとき、神楽の面が夜な夜な火を噴くということで、大層困り、伊藤太夫はこの地にその面を埋めて退散することになった。後に、高井家が戻り、面を掘り起こし、そこに杉を植えると、それはねじれてしまった。今も看板の傍らに残っており、「神楽塚の捻れ杉」と呼ばれる。

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