高崎ちかごろニュース「第50回 高崎まつり」2024.8.24-8.25 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 8月 25, 2024 2024年は第50回の記念開催として、通常は全38台に対して、輪番制で半数入れ替えで参加している山車が、ほとんどにあたる34台という規模で勢揃い。この規模は、平成22年の百十周年記念のときの38台から14年ぶりになります。関東随一の賑わいと言えます。8/24 19:30~はあいにくの雨のなか15000発の花火が上がりました。ちんどんや、阿波踊り、和太鼓が各所で行われ、盛り上がっていました。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
2024年1月27日(土) 高崎最古の将軍塚古墳と慈眼寺周辺を巡る(会員研修)晴れ 1月 28, 2024 歴史民俗資料館(旧群南村役場庁舎)をスタートして、華敷山補陀落院慈眼寺へ、しだれ桜で有名なお寺だそうで、山門を大門とよび、ここの案内板には花敷山と華➡花となっています。 この山門の傍らには、前山古墳があり、こちらは6世紀後半から7世紀初頭の築造とされ、高崎の古墳としては後期のものです。また、境内には円墳が3基もありとても、珍しいお寺になっています。 このあと、この地域の開発に尽力した江原源左衛門の屋敷跡とされる一帯をとおるのですが、ここが広大で東西が80m、南北が60mの環濠住居とされ、今は、江原さんの家がたくさんあるという状況でびっくりしました。また、このあたりを滝川というのですが、その起源とされるのがこの滝宮神社で、境内のすぐそばには淵川という川が流れており、ここに滝があったかもしれないという考察を聞きながら、とても納得しました。 こちらが、本日メインの将軍塚古墳で、大型の古墳としては高崎で最も古く、4世紀前半とされています。形状は前方後方墳、大きさは96m。古い古墳の特徴としては前方部より後方部の高低差があり、新しくなるとこの差がなくなるんだそうです。また、このころの埋葬施設は粘土槨がとなっており、加えて、埴輪ではなく、壺型土器となっています。 前方部には島名神社があり、祭神は彦狭島命(ひこさしまのみこと)、豊城命の孫で、景行天皇五十五年春二月五日、東山道十五国の都督に任じられた人物。彦狭島命にかかわりのある古墳ということで将軍塚古墳という名前だそうです。 このあと、再び、歴史民俗資料館にもどり、将軍塚古墳で見つかったとされる壺型土器である、底部穿孔壺の説明をしていただいて、終了となりました。 続きを読む
2024年5月19日(日)天気:曇り 「石碑の路を巡る」の会員研修 5月 19, 2024 9:30に金井沢碑に集合。上野三碑めぐりバスに乗って、山上碑に移動。そこから金井沢碑に戻るすがら途中で山名城址や根小屋城址に立ち寄る約4.1Kmの行程を会員12名で巡ってきました。 高崎自然歩道ガイドマップはこちら https://www.city.takasaki.gunma.jp/uploaded/attachment/7575.pdf 山上碑では上野三碑ガイドの方が丁寧に碑文の内容として、681年、長利という僧がその母の黒売刀自のお墓の傍に建てた石碑にこの地を治めていた佐野三家につながる系譜であることを記したもので三碑のなかで最も古いものだということをお話してくれました。 山名城址の立て看板 根小屋城の前には倉賀野の街並みが広がっていました。こちらは、まさに、武田信玄が北条氏に対して守りを固めるための狼煙台として築城した山城です。 続きを読む
高崎ぶらっと自転車旅「夕暮れの榛名湖」2024.5.4 5月 05, 2024 榛名湖は 標高1084m 上毛三山の一つである榛名山にあるカルデラ湖で周囲は約4.8Km、深さは12~15mになります。約22万年の噴火でカルデラの原型ができ、約4万年には外輪山ができ、その後の幾度かの噴火で、榛名富士(1391m)を含む山々ができ、これらの総称として榛名山と呼ばれています。 榛名湖の余水は天神峠の下を通る隧道を通って、長野堰用水として高崎市の水源の一つになっています。 昭和5年頃、榛名湖の湖畔に建てられたとされる、竹久夢二のアトリエを復元した建物で、午前9時~午後4時まで、観覧ができます。 続きを読む
コメント
コメントを投稿