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1月, 2023の投稿を表示しています

高崎ちかごろニュース「このマンホールの蓋は、大河ドラマでブレイクするかも?」2023.1.14

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  高松郵便局の裏にあるこのマンホールの蓋が、去年末のニュースになっていたので、見に行きました。まさに、大河ドラマが始まった、徳川家康の腹心、井伊直政の赤備えの勇ましい姿。ちなみに、高崎という名前を付けたのは直政です。 このマンホール、群馬御城印プロジェクトが設置したもので、楽歩堂前橋公園には上杉謙信のマンホールがあるらしい。人気ゲームのイラストレーターが書いたキャラクターだけに、もっと、いろんな人に見てもらいたいものです。

高崎ぶらっと自転車旅「少林山 七草大祭」2023.1.7

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黄檗宗(おうばくしゅう)少林山 達磨寺。この本堂である霊符堂には 北辰鎮宅霊符尊(ほくしんちんたくれいふそん)が祀られています。この本尊は北斗七星、北極星を神格化したもので、この本尊が降臨する吉日として、毎年1月7日の夜中の2時に七草大祭として1月6日から夜通し、星祭りが行われます。 行事がないときは本堂裏の駐車場まで車で行けますが、今日は皆、下の駐車場から本堂までの153段を休みながら登っていました。 本堂では法要が行われて、読経が静かに流れていました。 境内ではだるま市が開かれています。これは200年前の天明の飢饉のおり、だるま作りをこのお寺の9代目、東嶽和尚が住民に伝えたころから続く伝統ある市です。 といっても、時代が変われば、だるまも変わる。ピッカピカの黄金に輝くものもあります。 時代がかわるといえば、案内板があらたにできて、お寺の紹介をタッチパネルで選びながら、見ることができます。 本堂裏の駐車場というと、約30台のキッチンカーが勢ぞろい、お祭りといえば、やはり、この賑わいですね。でも、なぜだか、たこ焼きっていうより、エスニックや韓国料理が目立つような・・・・・ 購入しただるまは、ここで願い事と一緒に開眼祈祷をしてもらって、魂を入れてもらいます。また、願い事がかなっただるまは本堂の前面に奉納されています。  

高崎ちかごろニュース「全国で一番早い、高崎だるま市」2023.1.1

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  高さ2.8mのビックだるま、青いマスクがとても似合っています。 縁起のいいまち高崎の新春の恒例といえば、元旦、1/2に開催される「高崎だるま市」で、全国で最も早いだるま市!!となるそうです。 開催は午前10時から午後4時、ワシントンホテルの前の道を車が通らないようにして会場と しています。 大小さまざまな だるま が売られています。高崎だるまの特徴は、眉は鶴で、髭は亀と吉祥のデザインになっていること、むさくるしいようで、どこか愛嬌があって、いいですよね。また、新しいようで200年以上の歴史があり、高崎の伝統工芸品として全国でも有名です。 一年の計は元旦にありということで、金と赤のだるまに皆、抱負や願い事を思い思いに書き込んでいきます。 こちらも、願いが書かれた絵馬。無料で配布されています。 イベント会場では頼政太鼓の演奏をやっていました。お囃子やら太鼓やらで、高崎は年中、お祭りをやっているような感じがします。

高崎ぶらっと自転車旅「進雄神社」2022.12.10

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社殿の東側には「天王稲荷神社」があり、この鳥居の前で、結婚式の写真の前撮り最中だったので、駆け足でお参りさせていただきました。この朱の鳥居はきっと、写真の背景にすると綺麗にちがいないと思います。   境内の東側には縁結び、金運のご利益のある「竜神様」が祀られています。 神様がとおる「太鼓橋」で結界の中にあります。 境内の東には「水天宮様」が祀られています。 進雄神社の由緒は、古く、1150年前の貞観11年(869年) 清和天皇の詔によって、尾張の津島神社から勧請したことに始まります。天喜5年(1057年)には源頼義公により社殿が造営されました。その後も、武田、上杉、北条の支配の代においても、篤く崇拝され、寛永11年(1634年)には3代将軍 徳川家光公により三十石の土地が寄進されています。その後、明治に入り、神仏分離となるに至っては、「天王宮」として親しまれていた名前を、当時の宮司が、主祭神であるスサノオノミコトに雄大に進むという意味を込めて、今の社号である「進雄神社」としたそうです。平成3年(1991年)には現在の社殿を総檜の権現造りとして新築しています。 代々、社家であった高井家が、一時、武田の命で伊藤太夫にとって代わられた。そのとき、神楽の面が夜な夜な火を噴くということで、大層困り、伊藤太夫はこの地にその面を埋めて退散することになった。後に、高井家が戻り、面を掘り起こし、そこに杉を植えると、それはねじれてしまった。今も看板の傍らに残っており、「神楽塚の捻れ杉」と呼ばれる。