高崎ちかごろニュース「第11回 上野 国分寺まつり」2022.10.23


 国分寺はおよそ1250年前、奈良時代、天平13年(714年)聖武天皇が仏教の力で国を治めようと、60あった地域それぞれに僧寺と、尼寺を豪族の力を借りて作らせました。上野国分寺はこの地域の中心となる国府の地に旧碓氷軍と旧勢多郡の豪族の協力により750年頃、東西220メートル、南北235メートル、周囲は築垣(土塀)で囲まれており、中央には釈迦像を祀る金堂と、60.5メートルにもなる七重塔がありました。この時代の宮廷衣装をまとった、総勢114名の4グループに分かれた行列が、国分の寺橋→天平の道→七重の塔の基壇→イベント広場→南大門跡と練り歩きました。



築垣の前では、行列に先駆けて触れ太鼓「群馬町和太鼓会」の演奏が行われていました。


富岡賢治市長も奈良の都から上野国に派遣された藤原不比等という役柄で行列に参加していました。藤原不比等は中臣鎌足の次男で、法律学者として大宝律令の策定にかかわり、持統天皇の御代には、権謀術数を駆使する政治家として活躍した人物だったそうです。


長柄の団扇(うちは)は翳(さしば)と呼ばれるもので、従者が貴人の顔を隠すために用いたものだそうです。


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