高崎市の歴史景観 「倉賀野町下町常夜灯楼・閻魔堂」


 倉賀野町は江戸時代には江戸を起点とした中山道の12番目の宿場町倉賀野宿として、また、宿の南を流れる烏川には利根川筋最上流の河岸として倉賀野河岸が開かれ、江戸と諸国を結ぶ、物流の中継基地として、栄えました。また、徳川家康を祀る日光東照宮の例祭に合わせ、京の朝廷から派遣された例幣使が通る日光例幣使道の起点でもありました。

歴史を感じさせる景観が倉賀野町下町にあります。宿場町の面影を残す建物や中山道と日光例幣使街道分岐点に建立された「道しるべ」や「常夜灯」が当時のまま残っています。「道しるべ」の背後に建つ「常夜灯」

は文化11年(1814)に五料宿(現在の玉村町)の高橋光賢が自己の財産を投げ打ち、不足分を上州や江戸などを廻り、寄付金を募り、建立されたもので台座には江戸相撲の「雷電為衛門」をはじめ、312名の寄進者の名前が刻まれています。

常夜灯の背後には閻魔大王を祀る「閻魔堂」があります。江戸時代には念仏堂や阿弥陀堂とも呼ばれ、明治になり、閻魔堂と呼ばれました。現在の焔魔堂は平成27年に建て替えられました。

コメント

  1. 良い雰囲気の倉賀野ですね。今は風情のない場所になってしまったなと、この絵を見て感じました。

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  2. 絵には、書き手の思いが入るので、確かに現実とは少し違った印象を受けるのかもしれませんね。

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